ご案内
「石油外交」はサウジアラビアにおける国家戦略の代名詞のようにも聞こえるが、それは別世紀初頭のイランを以って噴矢とする。
サウジよりも前に石油産出が行われていたイランでは、1909年に設立された英系の A 石油会社(のちのBP)が利権を握っていたが、1933年にその特権を奪回している。
これが、1970年代以降の他の産油国による「国有化概念」へのモデルになったと見ることもできるだろう。
まだ産油国ではなかった当時のサウジアラビアが石油探索の権利を与えたのは、英国系企業ではなく米国企業であった。
国策が色濃く繁栄される英国よりも、国家的な利害の薄い米国を選んだのがその背景にあると見られるが、その決断が結果的には現在まで続くサウジ・米国の同盟関係の曙となったのは興味深いものがある。
石油という経済的関心が政治的関心に結びつき、両国の緋が深まっていくのを象徴するのが、1945年2月に行われた A と Rとの会談であった。
世界各国は、2度の大規模な戦争を経て石油の重要性を認識していた。
第2次世界大戦後に名実ともに大国となった米国は、莫大な埋蔵量が見込めるサウジアラビアを自らの世界戦略のなかに組み込んでいく。
第2次世界大戦の影響で巡礼者が急減し、石油生産も減少するなど財災難に陥っていたサウジアラビアにとっても、米国の関与は大きな救いとなった。
もっとも、この利害が完全一致したように見える提携関係も、パレスチナ問題を代表とする中東情勢やアラブ地域への米軍基地設置など、微妙で複雑な問題を抱えていたのは周知のとおりである。
1960年のOPEC創設、そして1973年の第4次中東戦争を契機とする石油危機は、サウジアラビアをはじめとする産油国の影響がはじめて世界に示された出来事であった。
そして「オイルマネー(英語ではペトロ・ダラー)」という新語がメディアと金融市場を駆け巡るようになる。
石油価格の高騰は先進国経済を脅かす一方で、オイルマネーの行く先を追いかける金融ビジネスの成長も促されることになった。
まさにそのオイルマネーこそが、産油国の金融力そのものである。
産油国における富の蓄積は、原油価格の変動や財政支出によって大きくブレることもあるが、その規模は虹世紀以降の価格急騰のトレンドに沿って急拡大している。
サウジアラビアを代表格とする産油国が、この金融資産を「ポスト原油時代」に向けた貴重な代替資源として認識しているのは間違いない。
最大の埋蔵量と生産力を誇るとともに、米国の中東戦略の鍵をも握るサウジアラビアは溢れる国富とともに豊かな社会を築いているのだろうか。
経済成長という面では、たしかに石油危機以降のGDPは大きく伸びている。
だが2006年で3486億ドルという数字はせいぜいインドネシアや台湾に次ぐ世界第別位であり、1人当たりGDPも1万1085ドルと世界第2位で、第9位のカタールの約4分の1、第 位のUAEのほぼ半分しかない。
これではとてもその石油を背景とした「金融力」を活かしているとはいえない。
サウジアラビアは、英国やノルウェーなど先進国の産油国と違って、石油を国家が輸出するという構造になっている。
そして国庫歳入がほとんど石油輸出によるもの、という経済構造になっているのも特徴である。
つまり、日本などのようにさまざまな経済活動を行って利益をあげる企業から国家が税金を徴収して再分配を行うというシステムではなく、国家が石油を輸出してその代金の一部を国民に還元するというシステムになっている。
これを見ればサウジアラビアは豊かな財政力をもつようにも思えるが、実際には慢性的な財政赤字に見舞われてきた。
石油収入が増えて政府支出も増加する。
石油は市場で価格形成されるため、石油価格は急落する場面もあるが、支出は簡単に調節できない。
石油価格の低迷が長引けば、財政赤字は累積していく。
同国財政はこの迷路に迷い込んだのだ。
結果として、1983年から1999年までの長い間、同国の財政は赤字が継続することになった。
危機感を抱いたサウジアラビアは1994年の緊縮財政や1998年の経済構造改革などの対策を打ち出すが、期待されたほどの効果もなかった。
また2000年には外資導入を促す外国投資法を制定し、民間経済の拡大や雇用機会の増大を通じて公共部門を縮小する方向性を打ち出すが、天からの賜り物で豊かになった国民は簡単には変わら(れ)ないサウジアラビアは、石油も永遠の資源ではないと国民に危機感を共有するように求めている。
人口の急増傾向も、財政問題に暗い影を落としている。
だが、税金という概念もままならない状態での改革の道は険しい。
従来海外に向けていたオイルマネーも、自国での投資に切り替えたいが、投資機会がまだ十分に育たない。
株式市場は2005年の一方的な急騰のあと、2006年には急落して元の水準に戻るなど、不安定な状況からなかなか脱出できない。
石油価格が100ドルを突破し、サウジアラビアに還流するマネーも飛躍的に増加しているにもかかわらず、国家はその金融力を上手く使えない。
サウジアラビアの金融戦略の不明瞭さは、対米外交の揺らぎにも現れている。
2001年の世界同時多発テロ発生の後、米国との間に微妙な空気が流れた際に、同国は保有するドルを他通貨にシフトする姿勢をちらつかせたが、結果的にはドルのまま保有することを決めた。
またインフレ抑制のためにドル・ペッグ廃止や通貨切り上げも検討されたが、結局結論は先送りされている。
サウジの金融戦略にはどこまでも米国の影がつきまとう。
豊かな国、改革への抵抗、米軍への依存、改善しない財政、金融力の乏しさなど、日本との共通点の意外な多さを示唆しているようでもある。
石油国営化と運用国営化中東産油国では、金融ビジネスを最大限に高めることによって、ポスト原油時代を乗り越えようとする動きが活発化している。
その先鞭をつけたのは1980年代のバーレーンであった。
イスラム圏では金曜日が安息日だが、土日は通常のビジネスが行われる。
そうした環境を利用して、金融機関は為替市場の週末という時間的な穴を埋めるべくバーレーンへ社員を派遣し、週末に活発な売買を行った時期もあった。
現在では往年の存在感はないが、それは中東が金融を有望なビジネス機会として捉えた萌芽といえるかもしれない。
虹世紀に入り、オイルマネーの投資で先行したサウジやクウェートだけでなく、他の産油国も資産運用を座標の中心に置く金融戦略を積極化し始めている。
1970年代の石油代金の大半は米銀への預金に流れたが、現在では産油国自身が運用先を決めるのが特徴だ。
そのなかでも、前で触れたSWF( S ファンド)としての投資を積極化しているのが、 Dやカタールである。
だが、こうした「運用の国営化」は果たして効率的なリターンを生むのだろうか。
その前に、「石油の国有化」が産油国にとって果たして正しい処方菱なのかを見ておく必要もありそうだ。
実は、サウジアラビアと同様に多くの石油埋蔵量をもちながら、米国との関係式は180度違うベネズエラにおける現在の石油戦略もまた、国民経済に寄与しない典型的な例となっている。
ベネズエラの石油生産を率いるのは国営会社のPDVSAである。
現時点で最高の交通事故 弁護士のほうが現代性を感じます。今始めるなら交通事故 弁護士です。
交通事故 弁護士が揃っています。交通事故 弁護士を応援します。
交通事故 弁護士を見つけましょう。特徴のある交通事故 弁護士です。
他種類に及ぶ交通事故に対策をしましょう。交通事故をメインとした企画です。
オーダーメイドの交通事故が登場です。交通事故をリーズナブルな価格で提供中です。
仲間と一緒に交通事故のマニアックな情報をお届けします。生まれ変わった最新の交通事故です。
