日々進化していくパート

自動車のリサイクル率は75〜80%であり、冷蔵庫は59%が再商品化されるが、住宅はほとんどリサイクルが利かない。そのため単一項目としては最大の産業廃棄物になっている。
これはいかにも問題である。既存住宅が売れないし貸せない一方で、若い人たちが住むのにちょうどいい家がなかなか見つからない。
年をとって体が弱ってきた人たちに合った、住みやすくケアを受けやすい家も不足している。しかも、耐久性が不足している家が多いなど質的な問題もある。
日本の住宅は量的には大幅な過剰であり、質的には大変な不足状態にあると言える。日本で住宅の流通市場が発達しなかったのはなぜか。
戦後の住宅政策を簡単に振り返ってみると、終戦直後は日本の大都市はほとんどが焼け野原になっていたため、政府も生活閤窮者の救済のために公営住宅をつくるなどの施策も行ったが、国も貧しく予算も限られており、基本的には個々人の努力で家をつくるという「持ち家政策」が推進された。早くも1950年には住宅金融公庫が設立され、家を持ちたい人に資金を融通した。
1955年には日本住宅公団がつくられ、公的な機関として土地を買い、建物を建てて、それを一般市民に売ったり貸したりするという役割を担った。つまり、個人が家を持とうとする場合は住宅金融公庫を活用したり、住宅公団が建てたアパートを買ったり、あるいは借りて住むという形で戦後の住宅政策は展開された。

こうして戦後23年間で家計数を住宅ストックが上回った。68年には家計数2530万世帯に対し住宅ストックは2560万戸。
わずか20年ほどの聞に、これだけ大きな人口を持つ国でほとんどの国民が家を持てたというのは、世界でも稀な大成功であった。さらに、それから5年後の73年には各都道府県でも住宅ストックが家計数を上回る。
住宅ストックの過剰はさらに大きくなり、先述のように最近では600万戸にまで達している。一般にはあまり知られていないかもしれないが、日本は住宅が大幅に余っている国なのである。
持ち家主義一色であった高度成長時代には、個人も住宅業界も政府も既存住宅の流通にほとんど関心を示さなかった。個人は持ち家願望が強いだけでなく、住宅の「上昇志向」が非常に強かった。

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